まぁ、上手に説明できているかどうかは分からないけどね。俺が感じたダライ・ラマの印象というのは、チャップリンに似ている…だったのよ。
いや、チャップリンに会ったことはもちろんないけど、彼の映画を見ていると、なんでもない動きでも見入ってしまうというか、惹きこまれてしまうでしょ?
ダライ・ラマがメガネを外す。メガネふきで丁寧に拭く。時々メガネのレンズをじっと見て、きれいになったかどうか確認している。納得したようでメガネをかけ直す。メガネふきをしまう。何てことはない動きなのだけど、どうしても目が離せなくなるのよ。ゲームセンターのモグラ叩きみたいに、ひょこひょこ上下に身体を動かしながら、メガネをふいている。その動きを見ているだけで幸福な気持ちになるのよね。
すげぇ。
もうそれ以外何も言えない。
だけどね。日本や他の外国でダライ・ラマに会ったことのある人たちって、俺の感じた印象とはかなり違うことを言うのよ。立派な人だとか、威厳があるとか、そういう感じなのだけど。俺は思うのだけど、言ってみたらこのチベット亡命政府の庭って、彼にとったらホームなのよね。今からの説法も第一言語であるチベット語でする訳だし、顔見知りだって山ほどいるだろう。
だから、こっちのダライ・ラマさんが素なのかもしれない。外国に行く時は、ちゃんとダライ
・ラマという役割を果たす顔つきになるのだろうな。そう思うのよね。
まぁ、仏教講座の方は、英語が難しかったこともあって、半分くらいしか分からなかったのだけど、それよりも謎なことがあったのよ。
時々客席がどっと湧くのね。笑い転げている人もいる。だけど、そうなっているのはチベット語が分かる人たちコーナーだけなのよ。英語の同時通訳だと、そんな笑えるようなネタはないのよね。
何か訳していないことがあるに違いない。ダライ・ラマのギャグ!それを知りたかったのよね。
Archiveをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。
コメント