「愛されたい対象の安全な代替物として、自分を拒絶しないであろう食物やアルコールなどの嗜癖対象を選ぶようになる。そうした状態こそが依存症である。」斎藤先生の文章はそこで締めくくられるのですけど、この「愛されたい対象」というのは親のことなのですね。
こう書いてしまうと、親の責任を追求するように受け取られかねないですし、実際に「親ガチャ」という言葉の理論的な柱になっているのは、この考え方なのです。
「親から無条件で承認されなかった」子供さんが親になって、自分の子供も同じように育ててしまう。つまり「無条件で誰かを承認する」という技術を親から学んでいない訳ですから、同じことを繰り返してしまう。世代を超えて、同じ問題は続いていくことも分かっています。
そんなことを言われたら、責任が重すぎて子育てできないという気持ちになってしまう方もいるでしょうし、育児ノイローゼになってしまう方も少なくありません。
でも、そもそも「完璧な子育て」なんていうものは存在しないのです。人間が不完全である以上、不完全な子育てしか誰だってできない。
ですから、親の責任だけを追求するのは、明らかに誤りです。カウンセリングでは、親を一人の人間として受け入れるというステップも行っていきます。それは「許す」とか「許容」するとか、場合によっては、親を「憂う」ことにもなるかもしれませんが、そのステップは重要です。
昔から「親を乗りこえる」と言われていますけど、心理学ではエディプス・コンプレックスの克服として知られている乗りこえ方以外にも、たくさんの乗りこえ方が存在するのです。
自由に、自分らしく生きるためには、1人でいても自分自身と対話できるくらいに成長するためには、きっと巣立ちが必要なのでしょうね。
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