記録用

XYZ

『時間の終わりまで⑥』 ブライアン・グリーンは言います。内面に向かう方向に目を向けるのは気高いことだと。 「そこに目を向けるのは気高いことだ。その方向に歩きだすことは、出来合いの答えを捨て、自分自身の意味を構築するための、きわめて個人的…

https://instagram.fgau1-5.fna.fbcdn.net/v/t39.30808-6/458365800_398143809971163_6722122179968994708_n.jpg?stp=dst-jpg_e35_p1080x1080_sh0.08&_nc_ht=instagram.fgau1-5.fna.fbcdn.net&_nc_cat=103&_nc_ohc=xLH6ToEtKXYQ7kNvgG8U2fm&edm=AOQ1c0wAAAAA&ccb=7-5&ig_cache_key=MzQ1MTQ5OTE2NDc4NzQyNzk1Nw==.3-ccb7-5&oh=00_AYC8lmnbZ1_uNR71Yz3oJV_gGHWVzEyUsNx8RGUTGJE0Rg&oe=66E16983&_nc_sid=8b3546

『時間の終わりまで⑥』

ブライアン・グリーンは言います。内面に向かう方向に目を向けるのは気高いことだと。

「そこに目を向けるのは気高いことだ。その方向に歩きだすことは、出来合いの答えを捨て、自分自身の意味を構築するための、きわめて個人的な旅に出ることなのだ。それは創造的表現の核心に向かう旅であり、心に響く物語のふるさとを訪ねる旅でもある。科学は、外なる実在を理解するための強力にして精巧な道具である。しかしそれを認めたうえで、それを踏まえたうえで、他のいっさいは、おのれを見つめ、受け継いでいく必要のあるものは何かを把握し、物語…暗闇の中にこだましていく物語、音から彫琢され、沈黙の中に刻みつけられ、最上のものは魂をゆさぶる物語…を語る、人類という種なのである。」

この一文で『時間の終わりまで』は締めくくられるのですけど…もう何だか理由も分からないまま、涙が出てきたのですよね。

ああ、よかった。そういう安堵感に近いのかもしれないですね。ここまで科学的な真実(宇宙の終焉)を知っている彼が、いったいどのように意味を見出しているのか?そのことを知りたい気持ちというか、好奇心を、後半を読んでいる間ずっと感じていましたからね。こんな美しい終わり方をするなんて。それはまるで、『グレート・ギャツビー』のラストのようだ思ったのですよね。

それとは別の感情なのですけど、この本は人類を肯定している。それはもちろん、さまざまな悲劇は起こる。想像もつかないような酷いことだって人類はしてきたし、これからもするでしょう。そのことは私だって分かっています。

だけど、もっと別な階層で眺めてみると、自分がいつか死ぬこと、そして自分の立っている地球も、地球が存在する宇宙さえも、いつか終焉を迎えることを唯一知っている種として、それなりによくやっているよ。そういう優しさのようなものを感じたのですね。

こうやって、私がささやかな思考をすることさえエントロピーを増大させている。つまり、宇宙をごく僅かでしょうけど、終焉に進めてしまっている。

でもいいんです。より良く生きている実感が、私の内面に生まれていますから。


Archiveをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP