ブライアン・グリーンは言います。内面に向かう方向に目を向けるのは気高いことだと。
「そこに目を向けるのは気高いことだ。その方向に歩きだすことは、出来合いの答えを捨て、自分自身の意味を構築するための、きわめて個人的な旅に出ることなのだ。それは創造的表現の核心に向かう旅であり、心に響く物語のふるさとを訪ねる旅でもある。科学は、外なる実在を理解するための強力にして精巧な道具である。しかしそれを認めたうえで、それを踏まえたうえで、他のいっさいは、おのれを見つめ、受け継いでいく必要のあるものは何かを把握し、物語…暗闇の中にこだましていく物語、音から彫琢され、沈黙の中に刻みつけられ、最上のものは魂をゆさぶる物語…を語る、人類という種なのである。」
この一文で『時間の終わりまで』は締めくくられるのですけど…もう何だか理由も分からないまま、涙が出てきたのですよね。
ああ、よかった。そういう安堵感に近いのかもしれないですね。ここまで科学的な真実(宇宙の終焉)を知っている彼が、いったいどのように意味を見出しているのか?そのことを知りたい気持ちというか、好奇心を、後半を読んでいる間ずっと感じていましたからね。こんな美しい終わり方をするなんて。それはまるで、『グレート・ギャツビー』のラストのようだ思ったのですよね。
それとは別の感情なのですけど、この本は人類を肯定している。それはもちろん、さまざまな悲劇は起こる。想像もつかないような酷いことだって人類はしてきたし、これからもするでしょう。そのことは私だって分かっています。
だけど、もっと別な階層で眺めてみると、自分がいつか死ぬこと、そして自分の立っている地球も、地球が存在する宇宙さえも、いつか終焉を迎えることを唯一知っている種として、それなりによくやっているよ。そういう優しさのようなものを感じたのですね。
こうやって、私がささやかな思考をすることさえエントロピーを増大させている。つまり、宇宙をごく僅かでしょうけど、終焉に進めてしまっている。
でもいいんです。より良く生きている実感が、私の内面に生まれていますから。
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