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255、『地下に降りていく①』 前回まで、現代人は「自分は誰なのか?」という問いから降りられないことを書いてきたのですけど、それに答えてくれるのは「他の誰か」しかいないのです。「他の誰か」から、あなたは◯◯だよと承認してもらって生きている…

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255、『地下に降りていく①』

前回まで、現代人は「自分は誰なのか?」という問いから降りられないことを書いてきたのですけど、それに答えてくれるのは「他の誰か」しかいないのです。「他の誰か」から、あなたは◯◯だよと承認してもらって生きているということですけど、もう一つ「自分は誰なのか?」に答えてくれるものがあります。

そう、記憶ですね。

朝目覚めて、昨日までの自分と、今朝の自分は同じだという連続性を感じることができるのは、その瞬間までの記憶があるからでしょう。

だけど、その記憶というのは、不安定であやふやなものなのですね。

実験でも、偽記憶を誰かに植え付けるのは、さほど難しいことではないことが分かっていますし、そもそも細胞レベルで脳は定期的に入れ替わっている訳ですから、子供時代に見た夕焼けの「赤」の記憶の「赤さ」が、本当に今感じている「赤」なのかどうかなんて、答え合わせのしようがないのです。

先日見てきた『墓泥棒と失われた女神』というイタリア映画で、主人公のアーサーは夢の中で出会った女性に声をかけます。

「君なのか、俺が失った女性の顔は?」

映画が進んでいくうちに、どうやらアーサーは婚約者だったベニアミーナが戻ってくるのを待っていることが分かってくるのですけど…すでに彼女は亡くなっているのです。

彼女がどこかに旅に出ていると思っているのは、母親のフローラなのですけど(イザベラ・ロッセリーニが演じています)アーサーは、どう思っているのか?それは判然としないのです。

でも、少なくとも婚約者の顔という記憶は消えたりしないはず…それが普通ですよね。映画は最初からあやふやな状況に観客を引きずりこむのです。


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