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『自由という刑罰②』 依存症の研究で著名な斎藤学が『「自分のために生きていける」ということ 寂しくて、退屈な人たちへ』に、こう書いています。この本が出版されたのは1997年です。 「近代の市民たちは老若男女を問わず自らの価値に懐疑的にな…

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『自由という刑罰②』

依存症の研究で著名な斎藤学が『「自分のために生きていける」ということ 寂しくて、退屈な人たちへ』に、こう書いています。この本が出版されたのは1997年です。

「近代の市民たちは老若男女を問わず自らの価値に懐疑的になっていて、他者の承認や拍手ばかり求めている。拍手をもらうためなら、かなり危険で無理なことまでやってのける気になっている人がありふれているという点をさして、現代は「ナルシシスト(自己愛者)の時代」とも呼ばれる。」

なぜ自分の価値に懐疑的になったかと言えば「絶対的な価値を与えてくれる宗教の力が弱まった」からだとも書いているのですけど、これはサルトルが言っていることと同じですね。

神から認めてもらうために頑張ってきたけれど、神はいなくなってしまった。だから、他の誰かに認めてもらうために無理をしているのが現代人。そういうことだと思います。

ちょっとまぁ、予言のように読めてしまうと思うのですけど、「いいね!」をしてもらうためなら、かなり危険で無理なことまでやってのけると考えたら、まさしく今の時代に当てはまりますよね。

つまり、「自由の刑」は自分を認めてもらうことにあくせく行動しなければいけないという罰によって処罰される刑なのですね。

そのことに疲れ果てた方たちが、何かしらの依存症になったり、うつ病を発症したりする。「自由の刑」はなかなかに怖い刑なのです。


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