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『「世間」と「社会」の間に⑤』 初めてのクライアントをカウンセリング・ルームに迎え入れるとき、私たちはお互いを知りません。つまり二人の関係性というのは「社会」的なものですね。 何度かカウンセリングをしていくうちに、二人の間には「世間」が…

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『「世間」と「社会」の間に⑤』

初めてのクライアントをカウンセリング・ルームに迎え入れるとき、私たちはお互いを知りません。つまり二人の関係性というのは「社会」的なものですね。

何度かカウンセリングをしていくうちに、二人の間には「世間」が形成される。「世間」というのは相手を知っている間柄に形成されるものですから…「わたし」と「あなた」がいれば、それは狭いながらも「世間」ですからね。

「社会」の関係にいる時と、「世間」の関係にいる時では、クライアントの話す内容や話し方に変化が生じます。よりプライベートな領域の話を語るようになるのが一般的ですね。でも、同時に私と「世間」を形成するスピードが早い方ほど、もっと大きな「世間」からの同調バイアスに疲弊してしまっている方が多いのです。つまり、協調性が高いからこそ、世間に合わせるのに疲れているケースが多いということですね。

アメリカ人のように「社会」が支えている「個人」になるという解決策は日本人には難しいでしょう。好むと好まざるとに関わらず、日本人の「世間」信仰は強力ですから。

だけど、揺さぶりをかけることで、クライアントの真実を顕にすることは必要かもしれない。そうか、「世間」に合わせることをあたりまえのことだと思い込んでいることに、自分のメンタルヘルス問題の原因があるのかもしれない。そういう考えがふっと脳裏をよぎる。その程度のことでも大きな変化が訪れることはありますから。

「世間」と「社会」の間に、どうやって「個人」を立ち上げるのか。

カウンセリングの技術としては、かなり高度なものになるかもしれないですけど、これは日本でカウンセリングをしていく上で避けては通れないことだと思うのです。


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