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『シンゴの旅ゆけば~!(70)フランシスコ・ザビエルの「世界の果て」その2』 その時のスペインは本当に暑くて、時々パンプローナの町で見かける巡礼の人たち(サンチャゴ・コンポステーラって聖地まで歩いていく)もフラフラしていた。湿度がないから…

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『シンゴの旅ゆけば~!(70)フランシスコ・ザビエルの「世界の果て」その2』

その時のスペインは本当に暑くて、時々パンプローナの町で見かける巡礼の人たち(サンチャゴ・コンポステーラって聖地まで歩いていく)もフラフラしていた。湿度がないから息苦しさはないのだけど、フライパンの上にいるのかって思うような暑さが続いていた。

だからまぁ、面倒くさいなぁと思いながらではあったのだけど、もうバスのチケットを買ってしまったし、その日はザビエル城に行くことにした。近場のなんとかっていう町まではバス。そこから城までは8キロある。歩くつもりだったのだけど、それは無理な相談だとすぐに分かった。カラカラに乾燥した平原のようなところをバスは進んで行くのだけど、目的の町まで何もない。コンビニとか、小さな町のようなのもない。こんな道を往復16キロ歩くのは死ぬなと思ったから、さてどうしようと思ったのよね。

ビールを飲んだカフェのオヤジがタクシーを呼んでくれて、3時間後にまた迎えに来てくれるように交渉してくれた。確か城の入り口に店があるから、時間が余ったらそこでビールでも飲んでいろと言われた。

城まで歩くなんてことをしなくてよかった。アメリカの西部劇に出てくるような風景の中をタクシーは進んで行くのだけど、対向車はほとんどいなかった。

ザビエル城はキレイに整えられていて、ちゃんと観光地になっていたけど、俺以外に客はいなかった。城の入り口には教会があって、ザビエルが生まれた時からあるそうだから、きっとここでザビエルはお祈りをしていたんだと思う。湿度が低いということは、太陽さえ遮れば涼しくなるということだから(サハラ砂漠で一番涼しいのは長袖長ズボンだからね)もう勘弁してくれと感じるくらい暑い外から教会に入ると、やけに冷んやりとしているのよね。

どうもザビエルは、というよりもザビエルさん一族はいろいろと大変なことがあったようで、戦争で父親が亡くなり、お金がない状況でザビエルはパリ大学に進学する。最初は哲学を勉強していたそうだけど、イグナチオ・デ・ロオラって同級生(でも、年齢はずっと上)の影響で聖職者を志したのだそうだ。

お母さんもザビエルがパリにいる時に亡くなり、その後すぐにお姉さんも亡くなっている。つまり、実家に帰っても両親はもういないっていう状況でザビエルはアジアに来たのよね。

ああ、なんとなく分かるなぁ。親がいなくなったら、実家に足が向かなくなるよね。そんなことを考えながら城を巡っていたのだけど、何というのか、歴史の重みのようなズシッとくる建物の内部がやけに涼しくて、というより肌寒いくらいだったのだけど、オバケでもいるのかって思ったくらいだ。そりゃまぁ、ヨーロッパに行くと城とか、貴族の屋敷なんてところによく行く(美術館が、元々は誰それの屋敷っていうことも多いし)のだけど、どこも空気が重いのよね。

陰気ってのは、こういうのを言うんだろうなぁって思いながら、一通り城を巡って表に出てくると、マジかよって思うくらい暑かった。もうそろそろ正午だから、太陽は真上からギラギラと照りつけてきていて、ああ、そういやザビエルってハゲてたなって、そういうどうでもいいことを思い出した。

そうそう、日本に戻ってザビエルの本を読んでみたのだけど、あれはハゲているのじゃなくて、ああいうヘアスタイルなんだそうです。トンスラって言うそうなのだけど…日本人がよく知っているあの肖像画は、どうも日本人が描いたものらしいのよ。でも、トンスラっていうハゲのヘアスタイルで描かれているのは日本だけで、ヨーロッパに残っているザビエルの絵は髪があるのだとか。まぁ、どうでもいい話なのだけど…。

城の入り口のカフェは開いていたのだけど、ビールなんてものはなく、仕方ないからコーラを飲みながらタクシーが来るのを待った。『アルプスの少女ハイジ』とかに出てきそうなおばちゃんから、あんた日本人でしょと声をかけられた。日本人はけっこう来るそうだ。

しかしね。

俺はなんだか、ザビエルの気持ちがちょっと分かった気がしたのよね。そりゃ両親ももういないし、キリスト教を布教しなきゃって熱意に燃えていたのだろうから、故郷に二度と戻ってこれなかったとしても、イケイケな気分でアジアの端まで来たのだろう。結局アジアで死んだのだけど。

でもね、時々ふっと頭をよぎったと思うんだよね。日本だってもちろん夏は暑いけれど、暑さの質が全く違う。これはいったい何だよ。このジメジメした夏は何だよ。俺の故郷のあのカラッとした平原が懐かしい。家の入り口の教会は涼しかったな。あんな場所は日本にゃないのかよ。そう思っただろう。いくら宣教師だって、人間だからね。

なんだかなぁ、コーラ瓶を握って茶色い城を見上げていて、ちょっとしんみりした気持ちになったのよね。俺はあんまりホームシックになることはないのだけど、それはまぁ本気になれば、どこからでも24時間以内には日本に戻ることができるからだ、きっとね。

ザビエルは日本なんて、奴からしたら「世界の果て」にいて、きっとザビエル城にはもう戻れないと知っていただろう。

故郷に戻れない場所がきっと、「世界の果て」なんだろうな。


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